About Us

私には、クラブ創りの伝統を守る使命があります

[画像] 本間 睦

本間家は先祖代々美術品、工芸品において日本の文化に貢献してきました。
その伝統を今も継承しております。

これはゴルフクラブ創りとて同じであり、M.HONMA(ムツミホンマ)のもっとも大切にしている部分として、日本の伝統技術を継承し、本間家の先祖に恥じないモノ創り、本間家らしく本物だけを作ることをお約束します。

今のクラブは 30年から40年前のパーシモン時代における各メーカーのような個性的な形はなくなっていると感じます。

機能を優先したデザイン、重心位置、慣性モーメント等の科学的・数値優先の設計が為された結果、どのメーカーのクラブも同じ形にしか見えません。

つまり、どのメーカーのクラブについても、個性がまったくなくなってしまい、差別化は言うに及ばず、どのクラブを使っても同じ、と言う状況となっていると感じます。

創業者 本間 睦 Profile

昭和21年に本間家の三男として生まれる。
元株式会社本間ゴルフ専務取締役兼ゴルフ事業部本部長
日大藤沢高校から日大ゴルフ部に入部(西田升平プロ・沼沢聖一プロと同期)ゴルフの技術を身につける。
その後、本間ゴルフの前身である本間ゴルフ製作所に入社。ゴルフクラブの製作・設計・組み立てを学ぶ。
営業拡大のため、関西に移り大阪ホンマを設立。
平成13年退社、宝塚市を拠点にMUTSUMI HONMAのゴルフ製品を手掛ける。

本間家のご紹介

[画像] 本間家

本間家先祖代々の歴史は、記録をたどる中でも今から320年前にさかのぼります。

今から約320年前、本間家初代、本間原光(1687年)から始まり、3代目の本間光丘以降は優れた商売感覚で巨万の富を得、その金を土地に投資し本間家の財の基礎を築いた事が始まりです。

徳川将軍9代の光正(1924年)の時代まで着々と土地を増やし、第二次世界大戦のころ日本1の大地主となりました。

また、本間家のもう1つの血統は芸術家の血です。
本間家10か条の中のその5に、『教育は文武両道を励み』とあり、文化、芸術の面にも力をいれてきたものです。 たとえば、光丘も有名な俳人、4代光道も俳人であるといった具合です。

また、本間順治は世界的刀剣鑑定家、本間祐介は1本竿の庄内竿を作る名人と、本間家は すぐれた芸術家を輩出しています。この本間家代々伝わった血が本間睦 ヒロオ=ヒロホンマに、今のM.HONMA(ムツミホンマ)のクラブデザインに生きています。

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